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「かっこいい!」「幸せ!」な音との出会い
———今日の対談を前に、宮﨑さんの著書(『すごい音楽脳』(すばる舎))を拝読しました。私も音楽、ライブ、音のある場所全般が大好きで、友人にもたくさんDJがおり、ハウス、テクノからアイドル、昭和歌謡に至るまで様々な音楽をセレクトして踊らせてくださっているのですが、そういったこともあって大変興味深く読ませていただき、なるほどと思ったことがたくさんありました。「リズムが人生を変える」ということがそこで感じた印象で、私も音楽に出会ったことによって人生を楽しんでいる一人として今日は楽しみに伺いました。
まず、茂呂さんと宮﨑さんはどこで最初に出会われましたか?
茂呂剛伸
中村キース・ヘリング美術館(山梨県北杜市)の館長の中村和男さん(茂呂剛伸後援会会報 第9号にインタビュー掲載)が持っておられる「キースプリングニセコ」というロッジで冬に演奏させていただいたところに敦子さんがいらっしゃって、演奏を褒めていただいて。
宮﨑敦子さん
冬だっけか、寒かった寒かった。でも雪は降ってなかったし、積もってなかったからね、寒かったけど。
茂呂
あの時お二人でいらっしゃったんですか。
宮﨑
そう、一緒に行った人がとても尊敬している音楽評論家の吉見佑子さんで、ちょっとニセコ行かない?みたいな。誘われて行ったのさ。
茂呂
私は三味線の菅野優斗くんと二人でコラボして、吉見さんが三味線のおうちの生まれなんですよね、そのつながりを聞いていて、これはもう菅野さんにもぜひというふうに思って二人でライブをさせてもらったんですね。そこが出会いです。
宮﨑
すごいかっこいいライブだったの!
———茂呂さんたちの作り出す音の第一印象はどんな感じでしたか。
宮﨑
あんまり歴史とか得意じゃないんだけど、縄文っていう名前だけでインパクト大きいですよね。縄文の太鼓、どういう音すんのかな、どういうのをやってるのかな。あと私のDJのボスが、ホアキン・ジョー・クラウゼルさんっていう、これもとっても北海道にゆかりがある、札幌でDJプレイされる方なんですけども……
———今日ここに来るまでの間に空港へ行くバスの中で、彼のDJプレイの映像を見ていましたけど、大変楽しかったです。
宮﨑
札幌っていうと、DJとか音楽活動する上で憧れの場所、聖地みたいな、プレシャスホールもですね、そういうところでしょう。そしてボスはドラム、パーカッションを使った音楽をたくさん作って、ジャンベとかでんでん太鼓もレコーディングに使ったりするので、種類は問わないしいろんな楽器をレコーディングとかライブの時見てきたけど、縄文太鼓は初めてだね。なんだそりゃみたいな。和男さんがロッジに縄文太鼓をディスプレイで置いてらっしゃって、これなんだろう、すごいインパクト大きかったです。
あとは脳トレで有名な、東北大学加齢医学研究所の川島隆太教授の研究室へ私を院生として入れてくださいってお願いに行ったんだけど、音楽と脳の研究をしたいって言ったら、僕音楽嫌いなんだよねって言われて、やばい、入れてもらえないと思ってガーンみたいな。でも先生が、君が言ってるドラムと人の関係っていうのは、太古の時代からドラムが使われていたと思うから、何か根本的なところにつながる感じがするって言って、研究室へ入れてもらえたの!だからやっぱり音楽がちょっと苦手の人でもドラムって結構受け入れやすい。コードとかあると、ハードル上がりますよね、楽器として。でもドラムとかパーカッションって叩いて音が出るんで、音が出たら楽しいからハードルが下がる素敵な楽器で、導入に最高。縄文とドラムって言ったらね、そりゃいろんな人が興味持ってくれるよね、日本の人でね、縄文の太鼓って言ったらかっこいいと思いました。
茂呂
ありがとうございます。私は医療と教育と福祉に演奏家がどんなふうにお役に立てるのかなっていうことを日々考えています。私は19歳でガーナという国に1年渡って、部族の中に住んで。
宮﨑
19歳でガーナに行ったの?
茂呂
元々は和太鼓奏者で小学校の時から世界公演をやっていました。10代の終わりにジャンベに出会って、本場で学びたいと思ってガーナに渡り部族とともに、楽器の制作と演奏を学びました。
北海道に帰ってきた時に大きな舞台に立たせてもらったんです。それはコンテンポラリーダンスだったんです。あなたは即興で演奏しなさい、ダンサーたちが即興で踊るから、それを2,000名の前で披露しましょう……と言ってもらって、こんな形式の表現があるのかって驚きました。25年ぐらい前の話なんですけど、これを一生の仕事にしたいって願ったんです。こういう仕事が札幌に、日本にたくさんあればなって思いました。でも私の周りには1年に1本~2本大きい舞台があるかないかで、これは作る側に回らなければいけないし、待っていてもチャンスが来ないので、そこにはコンセプトワークが必要で、あと、例えばプロのステージに立てる人ってごく一部で、アフリカにいても2軍3軍とか触れない人までいる、やっぱりそこは後天的な努力も必要になってくるし、環境もあるし、産業、仕事にしようって言った/思った時に、医療と教育福祉にどんなふうに演奏家が役に立てるんだろうか、その時からその思いがあるんです。敦子さんの著書を拝見した時に、音楽が健康や医療に貢献できる時代が来る、もう実践してる人たちもいるけれども、よりそこが加速するんじゃないかっていうわくわくがありました。
ディスコ・クラブが青春そのものだった
———最初にダンスミュージック、四つ打ちのリズムに出会ったのはいつ頃でしたか。
宮﨑
よくわかんないんですけども、田舎で、福島市の出身で、東京みたいに何か遊ぶものとかもなくて、山とか海とかはあるけど、素敵なカルチャーに触れるっていうのはなかったかもしれないけど、なぜか中学生ぐらいの時かな、ディスコに惹かれて、私はディスコに行って何かしなきゃいけないんだっていう感じで、親と東京に行ってさ、ディスコ行きたいなとか、そんな感じで親と一緒に行くとかしていて。こんなのができたらレコード会社に勤められるのかなってちょっと思っちゃって。なんかレコード会社(のスタジオ)の卓がDJのに似てると思ったの。すごい勘違いで、DJができれば多分音楽の仕事に就けると思った。
それとDJは一人でできるしね。バンドをやっていたんだけど、やっぱり女の子バンドだと彼氏できちゃったっていうと抜けちゃうし、みんなで続けるって結構ハードル高くて、一人でできるのっていうのでDJになってた感じで。
茂呂
10代の終わりぐらいですか。
宮﨑
そうね、高校生までは親と一緒に来てもらってて、大学生になったら友達とかと行くようになって、DJブースにかじりついて、レンタルレコード屋に行って、昨日のDJがこれとこれをつなげたからこれを練習しなきゃみたいな、つなげてよくできたとか、そういうことを一人でやってましたね。
DJになると、レンタルレコードの時代はまだ良かったんだけど、それがなくなるから、自分で買わないと新譜が維持できないから、もうお昼のご飯代があったらレコード買う。みんなそうよ、ヴァイナルジャンキーっていう病気だから。
茂呂
ヴァイナルジャンキー?
宮﨑
知らないレコードがあると不安なの。お金があったらレコードしか買わない、レコードしか興味がないっていう 病気のようなのが長かったんですよ。それでレコードを自分で買って、DJに反映していく。そしてディスコじゃなくてクラブ、自分が好きな曲をフロアにかけて自分の世界を作れるっていう時代になってきて、そうしたらもう加速するわけだ。知らない曲が出てきたら大変。ヴァイナルジャンキーが促進して、レコード屋に通って、とりあえず買い続けて、そして自分の世界を作るために買う、買う。で、ジョー・クラウゼルさんのレーベル、スピリチュアルライフミュージックっていうんですけど、レーベル名も素敵じゃない? ジャケットの絵も素敵なの。針を落として、何だこれは、ハウスのジャンルに入ってるんだけど、もうパーカッションのキラキラもたくさん入ってて、豊かな、ワールドミュージックとハウスを合わせたっぽい感じなんだけど、スピリチュアルっていう名前がつくくらいだからね、それは神々しい音なんですよ。全然ディスコの音とは違うよ。
茂呂
ディスコとは離れている……。
宮﨑
だからどういう気持ちでこのディスコと対極なもの、素敵な世界を作ってるんだろうって疑問に思って、ジョー・クラウゼルさんに会いに行くんですよ。彼はニューヨークでダンストラックスっていうレコード屋さんをやっていたの。そこに行けば会えるわけだ、オーナーだから。それがその時の日本にはちょっとない感じのレコード屋さんで、日本だとね、試聴したいですって言えないんですよ、買わなきゃいけないから。女の人とかちょっと入るには結構ハードル高くて、モタモタしてるとみたいなことでなかなか難しいんです。だけどダンストラックスは大きなソファが真ん中にドーンてあって、くつろぎながら、ジョー・クラウゼルさんが、DJが新譜をかけるわけ。そうすると、欲しい人みんな手挙げるの。ブースからこうやって配られるみたいな。私も一生懸命手挙げて、欲しい!みたいな。すごいわかりやすいんですよ。ヴァイナルジャンキーにとってはすごい幸せなところ。こういうレコード屋さんを作りたいと思ったし、彼とお話していく中でクラブの彼の世界観とかDJとかが素敵だなって思ったんですね。
———そこからご自分でもDJを実際になさるようになって初めてフロアからステージの上に立った最初の印象はどうでしたか。
宮﨑
ディスコでDJしたいっていうことで、今の時代は考えられないんだけど、弟子入りさせてくださいって行くじゃない。すると女はだめ、一ヶ月の中で気分に波があるからレギュラーとか無理なのでって最初に言われて。そんなもんでなれないって……みたいな。でも見てる分には全然いいよと言われてたから、ブースをずっと見てたりとかしてるうちにだんだんちょっとやってみない?と言われて、なんか嬉しかったな。ハードルが高かったから一生できないのかと思ったけど、ちょっとずついろんなところに呼ばれて、嬉しかった。あとはやっぱり、フロアはずっとピークタイムでもだめなわけよ。ピークを目立たせる流れを作らなくちゃいけない。この流れを作るのがちょっとお話と似てるじゃない。だから、その流れを作るみたいなのが自分でやりたかったことかな。みんなが盛り上がったり、ちょっとクールダウンしてもらったりみたいなのをディスコの中でやりたいって思ってて。なんかDJってね、鰻やどじょうをつかみみたいなもんでさ、自分がやりたい方向性とかあるんだけど、でもフロア見ながらかけるから、同じプレイはできないんだよね。だから決まってるツールは使ってるんだけど、でもその日その日、お客さんとの感じで、プレイが変わるっていうのがすごい楽しかった。
茂呂
今お話を聞いて、自分もクラブに、ディスコに通っていた時代を思い出しました。魅惑の時間というか。私も札幌の隣町の田舎だったんですよね。札幌のクラブに先輩に連れてってもらって、隅っこの方で音を聴いていた時にまずはドーンとスピーカーから出てくる音を全身で受け止める快感と、敦子さんのおっしゃった流れの中でピークを迎えたときの全体の高揚感、何とも言えない多幸感というか、幸せな気持ちになって、何か仲間ができるじゃないですか。そこでダンサーたちと出会って、ジャンベが叩けたので一緒にショータイムやろうとかっていうふうになってきたんですよ。そのクラブで出会った仲間たちとは今も仲良しです。あの時は青春を全て捧げて、もうみんなが真剣なんですよね。全てを、人生をそこに注いでいて。今コロナ禍もあったり人口が減っていたりで音楽自体に全てを捧げようとかっていう流れになっていない風潮ももしかしたらあるのかなと思って、そんな中で敦子さん自体がいろいろなところでメディアに出ていて、DJとして経験してきたことと脳科学をハイブリッドされて、改めてどんな音楽が日本に溢れたり、どんな世代の人たちが音楽と関わったりしているかということを聞いてみたいのですが。
音楽は脳にいい そして青春は続くのだ
宮﨑
自分の実験研究をする時に、今の対象が、基本的に認知症やサルコペニアというような加齢が原因になる健康問題を解決しようとしているから、どうしても対象が高齢者の方になる。例えば高齢者施設とかでは基本的に毎日昼間テレビを見ている、同じ姿勢をずっとしているような感じがするんだけれども、でもね、その人たちが知ってる音楽を聴いたりするとね、やっぱり違うのよ。だから、知ってる音楽を持ってるって、生涯の財産だなって思う。特に昭和の時はテレビで歌謡番組が高視聴率だったり、みんながそれを見るような生活をしてたよね。持ってるものも欲しいものも似てたよね。だから、知っている曲が好きとかそういうのではなかったかもしれないし、その当時はあの人ちょっと嫌だなとか言いながらも、でも聴いてたと思う。年を取った時に何か反応があったら、すごい知ってるんだよね。知ってるってすごい大事だなと思って。
trfと「リバイバルダンス」っていうダンスプログラムを作って実験したけれど、誰でもみんなが知ってる曲を使って踊ってもらうと、ダンスをしてない人たちがするから、結構ハードルが高い、だけど、知ってる曲だとハードル下がるんですよ、その曲を知ってるから、振りを覚えるだけっていうようなことで、知ってる曲っていうのがちょっとポイントになってくる。知ってると楽しい。今の人たちはサブスクとかがあるから、前みたいにみんな知っているのが同じっていうことじゃないかもしれないけど、曲が聞きやすい、音楽に触れやすいっていう今は、すごい便利だなと思う。ただ、イージーに音楽に接触できる分、その音楽の背景を知らなかったりとかすることがあるかもしれないよね。だから背景とかを知るとまた聞き方も変わってきて、いい思い出とかになるのかなと思って。
———高齢者の方々がダンスや音楽を通して楽しみを広げていらっしゃる姿を見ていて、宮﨑さんはどういうふうに感じていらっしゃいますか。
宮﨑
本当に本気なんですよ。高齢者施設の話になるとさ、若い人がボランティアとか、あるいは慰問みたいな感じで、高齢者は訪問者がやることをずっと見て拍手しておしまいみたいなのがちょっと違うかなと思ってたので。だって高齢者の人は今までの人生の積み重ねがあって、見てるだけって勿体なくない? だって今まで何かやってたんだから。彼らが発信する必要もあるなって思っていて、逆に若い人たちに見てもらうっていうのも必要だなと、お互いに一方通行じゃないなと思っていて。実際に彼らはパワーがあって、FIDA JAPANっていうダンスを広め、ダンス界の発展に貢献する、あるいは65歳以上のダンスチームを47都道府県に作る、ダンス健康クラブという取り組みを行っている、杉良太郎さまが名誉会長をやられているところがあって、私はダンスをやっている方の研究をしてるわけなんだけど、65歳以上でヒップホップチームを作ってね、そして年に一回開催されるダンス大会(FIDA GOLD CUP)で戦うの。そしたらさ、みんなめっちゃ本気なの、すごかったよ。大会だから結果が出るわけだよ。最初はやっぱり年齢が上がるとさ、プライドっていうのがあってね。そういうものに勝ち負けってどうなのかなってちょっと思ってたの。やめるきっかけにもなっちゃうかなって思った。でも杉さまは、勝ち負けが大事だと。実際、負けたチームがフロアで泣いてたの、悔しくて。青春ですね。だから、青春は、いつまでも続くのだ。若い人は部活動とかチームを作ったりチャンスがある。でも65歳以上のダンスチームで大会をやる、このチャンスを作ったら青春はまだあった。永遠に続くんだよ、チャンスさえあれば。なので、65歳以上の人たちもまだまだ出番があるね。素晴らしい。年だからこそやらなきゃいけない。
茂呂
そこは敦子さんが脳にいいんだよって、健康にいいんだよって言ってくれることによってきっかけを広げてくれますよね。
宮﨑
だといいなと思ってる。ささやかだけど、やっぱり変えなきゃいけないね。だって日本は少子高齢化で、サポートする地盤がなくなっているそうですね。だから高齢者が日本を支えるっていうことをしなくちゃいけない。だから今、高齢者を抜いたら日本はなくなっちゃうよ。
茂呂
その通りですね。
宮﨑
高齢者が日本を支えるには高齢者が若い人と一緒に青春を送るしかない。自分の健康を考えるとかきっかけに過ぎないかもしれないけれど、その先には、素敵なゴールド世代が待ってるよ。
茂呂
お話を聞いていて、概念的にこれは自分の世代じゃ……ってやっぱりどこかで思っているものってあると思うんですよね。
札幌って、あの初音ミクっていう”ボーカロイド”(ボカロ)が生まれた街なんです。クリプトン・フューチャー・メディアという会社の伊藤社長がお作りになったんですけど、私、ボカロ大好きなんですよ。というのは音楽柄、今どんなリズムが流行っているんだろうって、iTunesの上位100曲、200曲は定期的に必ず聴くんですよ。それで面白いリズムだなと思うのは全部買って、移動時間に聴くんです。リズムのものでしたら結構ボカロが多いんです。面白いリズムで人間が歌うように作っていないから、”機械が歌えればいいんでしょ”っていう定義で作っているので、良い意味で人間に優しくないんですよ、具体的には。でも”歌い手”さんにも”機械ができることが人間にできないわけがないでしょ”っていう戦いがあるんですよね。なので、今まで人間が歌うために、聴きやすいように歌いやすいように作りましょうっていうのは取っ払われて作られていて、めっちゃ早口とか、息継ぎどこでするのかっていう曲があるんですよ。それで、機械が歌うことに対するリズムを自分の中で体得したくてカラオケに行って、それに挑戦する。でも、ボカロって若者文化、オタク文化だと思っていたら、多分ジェネレーション的にはもう多分聴かない人たちが多いのかなと思いながらも、挑んでみると、私はそのボカロのリズムに未来を感じているんですよね。”ボカロDJ”っていうジャンルもありますよね。アニソンDJ、ボカロDJの人たちが曲をかけると、みんなが”オタ芸”で踊るわけですよ。これが現代のディスコかと(笑)。何かいろんなものが進化してハイブリッドになってクロスになっていて、アニメ文化、オタク文化を好きな海外の人たちからすると、それはもうすごく聖地なんだろうな、これがって。京都に泊まった時に「アニメメメ」っていうイベントがあって参加してきたんですけど、最高だったんですよ、連帯感・一体感が。なんて素敵な文化なんだって思って。なので自分が10代の終わり~20代でクラブに行って海外の曲がたくさん流れていてかっこいいブラックミュージックもあったり、ディスコと呼ばれるきらびやかなミラーボールの世界、そこからクラブという世代になって、今現在はアニソンDJをしている時代……時代が変われど人が集まって音楽を楽しんでそこで共感をしているっていうことは、やっぱり人間の根源的な欲というか楽しみなんじゃないかなって思っていて、敦子さんの研究が、音楽を楽しむ、愛する、関わるきっかけになっていけばと思います。
私は太鼓の演奏家でワークショップもやっているので、太鼓を叩くという体験、アンサンブルの中に自分が入るということで脳がどう活性するのか、活性化するのか、そういったところにとっても興味があって、みんなでリズムをやっている瞬間が、言語以外のものでコミュニケーションをとっての一体感がありますし、また演奏の機会をいただくと、私と弟子たちの伴奏で、そこに山を作ってリズムで描いていくんですよね。これがどういうふうに聴いている側、演奏している側に変化があるのか、といったことを本を読んで知りたいと思いました。なので、私は敦子さんの研究が音楽家や音楽を仕事にしようとこれから考える人たちの可能性にもなるんじゃないかなって強く思っています。
宮﨑
私の実験ではないんだけど、例えばこの人にはベートーベンを聴いてもらいますね、この人にはエミネムを聴いてもらいますね、と。でもね、好きな音楽の脳活動と嫌いな音楽の脳活動、この曲を人に紹介したいという脳活動……それらは刺激じゃなくて、好きが嫌いかリコメンドしたいかで脳活動が違う。だから何の音楽がいいとかじゃなくて、自分が好きか嫌いかって、それだけなの。
———すごくよくわかります。
宮﨑
だって、脳活動を見たらわかるんだよ。つまりこれが好きなので/嫌いなのでこの脳活動が出てるってことだね。中のもの、人が大事なの。受けとめる側がその音楽をどう判断するか、好きか嫌いかで変わってくるっていうのが面白い。それがつまり音楽の研究の難しいところになるかもしれないね、刺激ではないからね。みんな一辺倒ではないから。
茂呂
今のお話を踏まえるとDJを仕事にするって、みんなが好きな曲、自分が好きな曲、両方バランスが必要。
宮﨑
そうですよね。またちょっとアプローチが変わってくるよね。
茂呂
また聴きたいって言われないと、演奏家としてはもう呼んでもらえないじゃないですか。でも自分がこのリズムが好きっていうのを発信することも大事だとすごく思っているんですよ。演奏家でい続けるため、喜んでもらうため、また聴きたいっていうふうになるため、でもやっぱり、結局自分が好きだっていうようなその瞬間が大事なので、脳の活性化として自分の中で結構入れ替えるんですよね。お客さんのため、自分の成長のためとかって。自分の中で今のお話を聞いて、なるほどって思えるところがありました。自己成長につながらないと、商売だけにしていたら気持ちが続かなくなってくるんです、飽きちゃうんですよ。きっとDJという側面でも、自分がかけたい曲とお客さんが盛り上がるだろうなっていう曲、このフロアをどう熱くするかっていうような、そういう音楽を発信する場合にも、スイッチングっていうのがきっとあるんじゃないかなと思って聞いていました。
日常の中での音楽との関わり
———ここまではお二人の活動を通して、それを受け止め一緒に楽しむ・動く・踊る方々との関係性についてのお話であったと思うのですが、ここでぜひお二人にお聞きしてみたいのが、ご自身にとっての日常の中での音楽との関わりというのを伺ってみたいと思ったんですね。
宮﨑さんは音楽を研究者として解き明かすことに携わっていらっしゃいますし、DJとして届け、リコメンドするということもずっとやってこられました。茂呂さんは太鼓を自ら作るというところから始められて、演奏されてそれを教えるということもずっとされてこられました。お二方の日常の中に音楽というのがもうずっとあると思うんですけれども、その活動や毎日音楽と触れている中で発見したこと、ご自身の普段の生活と仕事の中で音楽をどう使って生かしておられるかというのをぜひ伺ってみたいんですよね。例えば茂呂さんいかがですか。
茂呂
美しい音に出会ったら本当に人生が幸せになるというか、もう内容は覚えてないけど美しかったっていう記憶だけは断片的にあるんです。音楽を聴いた時に自分もそっち側の人間になりたいなと思って、自分の奏でる音がやっぱり美しい……という理想にちょっとでも近づけるように、日頃自分の演奏の機会の時には、新しいリズム生まれろ!とか、もっと良い音になるようにって願いながら演奏するんですよね。やっぱり肉体がないと、音は自分の肉体から発せられないし、いつか衰えていく、その中で自分の肉体が続く限り美しい音を出していきたいっていう、もうこれ一点だけですね。自分が活動を続ける中で、仲間との出会いが、またアンサンブルを組んだ時に「そうそう、こういうリズム来てくれたらこうなるんだよ」とかっていう想像力につながっていくので、仲間が多い方がいいなと思うので、みんな太鼓楽しいよ、みんなで作ってみようよという活動を、日頃しています。
———これは宮﨑さんのDJの活動にも繋がるような気がするんです。ご自身の生活の中で、自宅でも音楽はやはり聴かれますか、今でも。
宮﨑
音がないと寂しいので、サブスクをずっと流しっぱなしで。
———お二人が最近よく聞いていらっしゃる曲ですとかBGMにされている曲、あと最近このアーティストがいいよって思っていらっしゃるアーティストはいらっしゃいますか。すごく難しいかもしれませんけど……たくさんいらっしゃるかもしれないんで。
宮﨑
今っていうことではないんだけど、チェン・ミンっていう二胡奏者の方がいらっしゃる。二胡ってさ、つまり二つしか弦がなくて、シンプル。しかし、シンプルだからすごく心に響く。チェン・ミンさんはいろんな二胡の使い方をするのね。もちろん中国の古典も弾かれるけれど、いわゆる現代音楽とかクラシックとか、西洋の音楽とかいろんな曲を演奏されるんだけど、二胡で聞くと不思議な気持ちになるの。だから面白いと思う。DJとかだと打ち込みでなんぼでも音は出せるわけ。でも二胡って2本の弦だけでね。すごい対極だけど、そういうのが面白いなと思う。人の歌っている声のような感じもするし、不思議な楽器で魅力的です。
———私の友人でも二胡をやっている方がいますけれども、確かにあの音は語りのようにも聞こえますし、肉声といいますか、口から出てくる声や音に似ていますよね。
宮﨑
馬がヒーンって鳴いてるような音も出せるんだけど、かっこいい小さな楽器で、いろんなことができる。
茂呂
聴いてみます。
———茂呂さんは最近に限らずですけど、ご自身もよくBGMにされている曲とか、もしあったら最近聞いていらっしゃる曲やアーティスト、いらっしゃいますか。
茂呂
二組あって、最近は「ずっと真夜中でいいのに。」が大好きで、去年はコンサートに5回行きました。バックバンドもボーカルも歌詞もいいし、結構幅広い年代層のファンが多いアーティストですね。アニメ「チェンソーマン」のエンディングでも使われたり、アニソンとしても評価が高いです。あと、断然ここ数年は日野皓正さんです。昨年一緒にコンサートをやらせていただいてトランペットをステージ上の真横で聴いて、CDも一緒に作っていただいて、いやぁ、天から音が降りてくるんだってご本人はおっしゃっているんですけど、本当にそうなんだなって、横にいると思います。迷いなくあれだけのスピードで80代を越えてその肉体から放たれる音、ツヤのある光沢には、人生を本当に音楽に捧げた人だなって思いますね。生涯かけて肉体が許す限り、日野さんのように音楽を奏でられる自分でいたいなという憧れ、目標でもあります。
———最近は「推し」という言葉が完全に市民権を得ましたけれども、身近な中に楽しむ、憧れる作り手、アーティストがいるというのは本当に大事ですね。
DJをやっている人たちに多く出会った一つのきっかけでもあったんですが、実はPerfumeが十数年来ずっと好きでして。彼女たちのベースにはテクノ、ハウスというものがあって、ずっと作曲家の中田ヤスタカさんが作っていらっしゃるわけです。だからそういう音を好きな人が早い段階から飛びついたんですよね。DJをやっている人もいるものだからフロアでかけたらどんどん爆発して、そういう方面からも人気が広がっていった歴史があって、現に中田さんたちも自らcapsuleと言うユニットとしてクラブに出ればたくさんの人を集めています。先ほどの「リバイバルダンス」で昔見たような振り付けをすることによって体が動くというふうなことも考えられたとおっしゃっていましたが、Perfumeに振り付けをやっているコレオグラファーのMikikoさんも歌詞にリンクした振り付けをたくさん作っていらっしゃるんですよね。3人がキャリアを重ねていくことでどんどんダンスの難易度が高くなってきて振りコピ(ダンスのコピー)をする人たちもますます難しくなっているんですけども、ただ最近の曲でも歌詞とダンスがリンクしていることが非常に多いので、簡単なものだったら、ライブの時にステージから3人がお客さんに教えてくれてそれを一万人単位で踊るっていうのをやるんですよ。去年の年末、横浜でカウントダウンライブがありまして私も行ったんですね。その時にもやってくれました。それを踊っている間に年越しの午前0時が来そうになって1分前でちゃんと収めてカウントダウンをやった。さすがのタイムキープでしたけど、本当にそれは楽しいんですよね。
ちょっとだけさらにお話させていただくと、そうやっていろいろなDJの方とお付き合いして、行くともう自然と体が動いて楽しいです。近年はなかなか朝までということはないですけども。でも例えば北海道に「ライジングサン・ロック・フェスティバル」という開催20年を超える日本の四大ロックフェスの一つがありますけど、その中では2日目土曜日の夜から日曜日にかけてDJブース、DJのステージが組まれてそこで朝を迎える人たちもいっぱいいて、私もそこに行くと、時間を忘れてみんな自由に踊っているんです。それこそジョー・クラウゼルさんのDJプレイの映像を見ていてもそうなんですけど、一つの音で、みんなが自由にバラバラに踊っている。私の大好きなあるロックバンドのボーカルがMCで「統一感のない一体感」って言っていたんです。それが大好きで、この雰囲気が世の中にも広がってくれたらすごくいいのになってことすら思うわけです。一色にされるんじゃなくてみんながバラバラのものを持っていて自由にやっている。でもそれが引いて見ると一体になっているとか。
例えばクラブだったりディスコ、ライブ、コンサートっていうのは、長くても数時間で、ある意味非日常ですけれども、それを日常に持って帰って自分の中から楽しむということもまた人生をすごく豊かに変えてくれる、そこには当然リズムというものがあるんだなって私は思っているんですよ。ですから、今お二方のお話を伺っていて、日常の中に非日常を、音楽があることによって、すごく人生が楽しくなるというのは、とても強く感じました。その活き活きとした毎日を、年を重ねていっても続けていってほしい、みんなで続けたいと思って宮﨑さんは活動をしていらっしゃると思いますし、茂呂さんもたくさんの方々に太鼓を教える、作る、自分の手で作って叩くということによって人生を豊かなものにしたいと思っていらっしゃると思いますし、茂呂さんご自身もそうでありたいと思っておられると思うんですが、リズムによって周りの方々、そしてご自身が変わったと感じたことは何かありますか。
私たちの心の中にあるリズム
宮﨑
認知症の方にドラムを叩いていただくということをしているんですけど、認知症の人は、認知機能の低下により、言われたことが伝わらないとか、日常生活が難しくなったりとか、前にできたことができなくなったりとかしてる状態になってしまうわけなんだけど、でも、ドラムは叩けるんですよ、マジで。結構最初っから叩ける。最初に初めて「私初めてだわ、これどうやるのかしら、できないかも」と言っても、叩けるんです。みんなで即興で合わせるっていうこともできます。だけど実験は3ヶ月続くんです。週3回、3ヶ月トレーニングするのね。
30分で1回。もう3ヶ月後はね、すごい上手なの。最初から確かにみんなできるんだけど、でも3ヶ月トレーニングすると、セッションし続けると、本当にストップ&カットが、つまり止めるタイミングが、もうスカッとね、スタートもすっと決まるもん、「超カッケェ!」んですよ。認知症の人が何もできなくなるってわけじゃなくて、明らかに上手になるし、その人らしいリズムを叩くんですよ。ある日それをやってる時に、皆さんセッションが終わって、お部屋に戻られてね。日常生活はベッドの中で寝てるっていう人もいらっしゃる。つまり30分の食事のとき自分で座ってる人は参加できますっていう条件で呼んでるから。ある日、明らかにお部屋の中で寝てらっしゃる方から、なんかピッと音するものあるじゃん、アヒルちゃんみたいなね。それでね、リズムを取って鳴らしているのが聴こえたの、お布団の中でね。あれ?って思ってね。太鼓をみんなで叩いているときは受動的にできるんだけど、お布団の中でもできるもので「ピッピッピッ」ってしていて、すごく嬉しかったの。やってもらえるんだと思って、リズムって簡単にできるし自分らしいリズムがある、そして何かやってもらえるってすごいなと思って。
茂呂
しもでメンタルクリニック(札幌市豊平区)のデイケアで10年ぐらい、みんなで太鼓を叩こうとワークショップをやっていて、月に1回1時間なんです。なので1ヶ月後だと忘れちゃうぐらいのスパンだと思うんですよね。週に3回とか3ヶ月だと、ちょっと覚えていけるというか、筋量も含めて何か感覚も含めて構築できるというか積み上げていけるし、月に1回1時間だとそこまでではなくて、それでも今お話にあった自分らしいリズムは個性ですね。ジャンベでは「真ん中が低音・端が高音」みたいな2種類の音だけで一応やっているんですよね。そこで、もっと個性の出るリズムって何かないのかなと思った時に、五七五、短歌を読む時っていうのは、みんな自分の中で聴いたことがあるリズムだし体の中に入っているので、それで強弱をつけたり間を調整したりっていうのが成功率がめちゃめちゃ高いんですよ。一人ひとり五七五でやってみましょうかって言ったら、みんなそれぞれ低音や高音の位置を変えたり間を詰めていったりとか伸ばしていったり、これは太鼓のワークショップの現場でもよくやっています。これは実践でかなり自分の中で自信を持って、みんなに「これできるよ!」って伝えたいリズムです。
宮﨑
かっこいいのが作れそう。
茂呂
リズムをカウント上でやって、って言うとまた難しいんですよ。それに合わせてスタートでやろうねっていうことだとちょっとハードル上がっちゃうけど、そのカウントをなくして自分のタイミングで自分の好きなようにって言うと、結構皆さんが好きな五七五で打てるんですよね。そういうのを日頃の実践ではやっています。
———宮﨑さんがおっしゃっていたベッドの中でピッと音を出すことしかり、茂呂さんがおっしゃっていた五七五という私達の心の中にずっとあるリズムを生かすということしかり、みんなが持っているんですよね、リズムというものを。まず自分の中から目の前にリズムをちょっと出してみるっていうんでしょうか、それはすごく大きいと思うんですよね。そうすると、まず自分にレスポンスとして即返ってくる。それが楽しいと思えてくると今度はセッションを、っていうふうになってくる。そうするとそれが楽しくなってくる。さらに初めて会うような方にそれを聴いてもらうのが楽しみになっていく人もいるし、コンサートとかに行って他の人を奏でるリズムを感じてみようってふうに持っていく人もいて、そういうふうにしてに「リズムを楽しむ」ことを様々な方向に広げていけると思うんですよね。それが自分の毎日を楽しくでき、健康寿命の延伸にも必ずやつながってくると思うんです。
宮﨑
リズムを合わせる、楽しむ……それね、今おっしゃったことね、人間にしかできないんだよ。人間に近いチンパンジーさんだってできないんだよ。自分だけで叩くことはできる、でもみんなで揃えて叩くはできないですよね。
———それは本の中でもおっしゃっていたことで、私もとても感銘を受けたんですよね。セッションの話が先ほども出てきましたけど、それは例えば言語とかを超えて、音やリズムで、初めてその場で会った人でもできるわけですよね。しかも究極的なことを言えば楽器がなくても何か叩ける物があればできるわけじゃないですか、自分の手指を動かすことによって。人間の根源的な欲求と茂呂さんもおっしゃいましたけども、それにかなっていることだし、これからも絶対に変わらないことだと思うんです。
私も年齢を重ねていくことがすごく楽しみになりましたし、一生青春を何度でもずっと感じていける一つのツール、ムーブメントとしてのリズムというものを大事にしていきたいと改めて思います。
実践と心の循環で 次のステージへ
———最後にお伺いしたいんですけれども、これからお二人がそれぞれの活動やツールを通してやってみたいこと、やり続けていきたいことというのを簡単にですけど伺えたらなと思います。宮﨑さんは何か考えていらっしゃいますか。
宮﨑
これからね……、ちょっと行き詰まっているんだよね、正直。太鼓は、みんなできる、自分としてはすごくいいことだと思ったの。高齢者施設でみんなでドラム叩いて楽しくて、認知症があっても上手になるし、認知機能も、あと腕の動きも上手になるよ。いいなと思ったんだけど、でもね、導入に繋がらないの。施設でやってみたいとか、長期でやるとかならないんだよね。だから、自分の広め方かもしれないけど、今回本を書いたりとかね。前は論文書いて、そのエビデンスがあったらみんなが使ってくれると思って信じて実験してきたんだけど、それでは難しいというのはわかった。本を書いたら皆さんがその本にアクセスしてくれて、ちょっと話がわかってくるといいなと思ったり、社会データ実験とか研究とかのステージじゃなくて、「やってもらえた」っていうステージにちょっとなるかもしれないね。
茂呂
導入に繋がると思います、絶対に。
ダウン症の子にダンスを教える活動をしている友人が「おかゆの会」という会を帯広の近くの幕別でやっているんで すけど、それこそいろいろな人たち、元ZOOのダンサーを呼んで一緒にステージに子どもたちを立たせて「CHOO CHOO TRAIN」を流した時に、自分がまるでスターになったかのようにステージの前まで来て踊る。それを見たご家族や両親や仲間たちが涙を流して見ていて、「今まで支えてもらう側だった僕がステージに立って、みんなに踊りを見てもらってみんなが楽しんでくれてる」って言うのです。光を与える側に回る、この心の循環なんだと私は思っているんですよね。諦めじゃなくて、きっかけさえあればスタートできて、継続っていうのは本人たちが楽しいという感覚で、周りも自分の心が動いたという感覚がないと、その心も行動も伴っていかないということで、私は演奏家としてそこに本当に医療教育福祉に対しての役目があると思っていて、音楽を私が牽引してそこに伴走してもらうことによって、一緒の空間にいることができるんですよね。これがプロの演奏家の仕事の一つだと私は思っています。なので、研究や実験、健康のためにというのは一個の入口であって、その先に自分で続けたいっていうことは、きっと私達プロの演奏家がお役目があるんじゃないかなっていうふうに思ってるんですよね。なので、音楽療法の仕事もプロの音楽家が入ると、音楽ってすごい力を持っているので、そこにどういうふうに関わっていくかだと思います。
敦子さんが書いた本のおかげでそこが交わっていくんじゃないかなと思っています。これからその両方が大事ですし、そのステージのきっかけを作ってくれたというふうに思っていますので、研究とその実践とのやり取りが、さらにそういう継続、導入の環境を作っていくと思うので、ぜひいろいろご一緒させていただければうれしいなと思っています。
———今日はこちらに二つの太鼓をご用意いただいています。せっかくの機会ですので、ぜひちょっと二人で叩いていただけたらうれしいなと思って。いきなりのお願いなのですが。
茂呂
どっちがいいですか、触ってみてください。これはエゾシカの革ですね、椅子に浅めに座って、脚で挟んで、この端っこが真ん中に行くと、音が低音になってきます。こう優しく。いいですね、いいですよ。これ繰り返してください。……ブラボー!(拍手)いいですね。素晴らしい。さすがですね。この土器の部分はそこ(このアトリエ)で2時間ぐらいで作るんです。今度お誘いしますね。
宮﨑
シカの鳴き声やりたいんだ。
茂呂
ちょっと湿ってないと。
宮﨑
牛が啼く?
茂呂
こっちの方がやりやすいかなと思います。
宮﨑
乾燥しちゃってるなぁ(笑)へぇ、かわいいねぇ……
茂呂
自分で作るとやっぱり愛着が湧いてきますね。
宮﨑
私も作ってボスにあげたい。
茂呂
作りましょう、作りましょう。
宮﨑
へえ、面白いよねぇ。縄文を太鼓に持ってくるって面白いよね。
茂呂
はい、ロマン的な学説なんですけど、でも、あったであろうって言われているので、それを考古学的に証明するのではなく、もう美術として創案しましたっていうことでやっています。
宮﨑
つまり、ドラムってこういう革で作っちゃうから消えちゃうんだよね。笛とかは骨だから残ってるけど。だから太鼓の歴史を物で物理的に証明するのはちょっと難しいね。でも楽器のスタートとしては絶対叩いてるからね。
茂呂
縄文文化を知る、音楽に触れるきっかけで、あと、日本人に縄文というそのDNAが体に入っているっていうことも含めてアイデンティティを何か思い出すというきっかけでいいんですよね、うん。
縄文を好きな人たちでつないできた命のリレー、お腹の足しにならない土器や土偶のようなものを1万数千年前から自分たちの先祖は楽しみながら作ってるんだということがわかれば、だからそれだけでもアイデンティティとして心強い、なんか楽になるというか、そういうふうに思います。
宮﨑
日本神経科学学会っていう日本で一番大きい神経科学の学会があるんだけど、そこで「脳科学の達人」っていう毎年脳科学の達人の人に脳科学を話して、皆さんに脳科学に興味を持っていただくっていう市民公開講座っていうのをやってるけど、そういうのでDJブースを持ち込んで。みんなかっこよく脳科学をお話する、それにDJがついてさ、登場の音楽とかオリジナルで作ってね。YouTubeに上げちゃったらさ、既存の曲だとはねられちゃうじゃない、だからオリジナルで作ってDJしてるの。で、茂呂さんにこの縄文太鼓を叩いてもらった音源をいただいて、沖縄での学会だったら絶対縄文太鼓の音とかかなと思ってね。そんで作ったんだよ。
YouTubeに上がっているので、「脳科学の達人」で検索すれば。
———はい、ぜひ楽しみに聴かせてください。
いつかぜひお二人と、お二人とつながりのある方々が一つのステージとかフロアで音を響かせて、そこに集まってきた人たちが自由に一人一人が自分の楽しみ方踊り方、一番前から一番後ろまで楽しむような、そんな空間が見てみたいですね。そういった場に私もぜひ身を委ねてみたいなと感じました。
著書を拝見したり、その本から提供される音源などを聴いたりしながら思ったことでして、私自身も家ではテレ ビを見ていない代わりにBGMが常にラジオや音楽で、「radiko」を使って北海道から沖縄までいろんなラジオ局も聞き、また海外のラジオ局も大好きで聞くんですけど、海外だと一つの都市にラジオが数十局で、ジャンルごとにみんな違う音を流すじゃないですか。そしていいなと思った曲をとっかえひっかえしながら流すんですけど、この著書の一つのキーワードが「早いテンポの曲を仕事始めに聞く」というのがすごく腑に落ちました。日本の早朝、朝は例えばロンドンはもう夜ど真ん中なわけですよね。それが特に金曜土曜になると、私がよく聞いているラジオ局だとノンストップDJになるんですよね。ちょうどいい塩梅の中で流れているんですよ。それが楽しいという理由がつながりました。
私も語れるものは決して多くないのですが、でも一人の音楽好きとしてますます自分の中で音楽というものを、仕事も遊びも楽しむためのきっかけとかツールに使っていきたいですし、純粋に好きなように聞いて踊ってって楽しんでいきたいし、それを通じて、もっともっとたくさんの方と出会っていきたいと思いますし、茂呂さんの活動が、そうやって、さらに様々な人々をつないでいき、そして茂呂さんに関わっている方々も、様々な方々とこれからよりつながっていくためのきっかけをもっと広げていかれることを私も楽しみにしております。もし何かの機会があったら、宮﨑さんのDJもぜひ伺いたいと思っております。
茂呂
あとで向こうに移動して向こうで一枚写真が撮れればと思うんですけど、ぜひこの下の空間で敦子さんにDJをしていただいて私が演奏してっていう会を作りたいなと思ってるんですよね。何かそういう機会もHUNCHでもできたらなというふうに思っています。
———本当にいつもそうなのですが、資料を作ってお話をしていただくというのがもちろん第一義なんですけども、茂呂さんと毎回お招きするお客様のご厚意に甘えちゃっているんですけど、私の聞きたいことも十二分にお伺いできました。
今回もとても楽しかったです。長時間にわたり、本当にありがとうございました。この原稿を毎回まとめ上げるのがなかなか時間がかかって大変ではあるんですが、毎回すごく楽しいので今回もとても楽しみにしております。お二方にお話しいただいたことをできる限り盛り込んでお届けできればと思っておりますので、引き続きよろしくお願いいたします。
改めて本日は、宮崎敦子さんをお迎えいたしました。どうもありがとうございました。
宮﨑/茂呂
ありがとうございました。
(2024/2/2 HUNCH(東京・蒲田)にて)